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45歳で発達障害診断

昨日の記事で、不注意型優勢のADHDと二次障害としてのうつ病と診断されたと書いた。今回は、どうして45歳になってそれがわかったか書いていこうと思う。

・きっかけは、息子が診断されたこと
息子は、念の為の検査だった。ただ、生育歴から見て、多動傾向は随所に見られていた。落ち着きのなさや衝動性は、保育園〜中学生までの面談等でも指摘されていた。しかし、学習能力や対人関係では特に問題は見受けられなかった。ただ、対人関係は、周りに恵まれていたことで、トラブルも多々あったらしい。

・それでも自分は、大丈夫と思っていた。
息子が発達障害と診断されてから、妻に私も衝動性などについて指摘された。確かに、衝動買いは度が過ぎるし、人の話を遮るのは小さい頃から日常茶飯事だった。

・度が過ぎる確認行為
小学生の頃、私は忘れ物するのが怖くて、前日から翌日登校するまでに4回確認を繰り返していた。まず、宿題が終わった後、寝る前、翌日朝食食べた後、登校前。今、振り返ると、たまたまこの過剰な確認行為で、忘れ物などを防いでいただけだった。

・話に入るきっかけがわからない
私は、物静かな子どもだった。しかし、それは自分が話を遮る天才だと自覚していたからである。大勢で話をしているとき、私は話の流れを無視して自論を話してしまい、非難されることを何度か経験した。

・ゾーンに入ると強い
大学受験をはじめ、資格試験など自分が興味を持ったことには強かった。読書なども興味ある分野は何十冊も読み漁った。ゲームなども興味あるものはとことんやった。ただ、勉強以外は繰り返しやることはなかった。この辺は、ADHDの特性だと思う。

・マルチタスクに強いという過信
大学留年中にフリーライターになったこともあり、サラリーマン生活の二足のわらじになった30代後半まで、チームで仕事することに慣れていなかった。それでも、周りに恵まれていたので、勝手にマルチタスクが得意だと思っていた。しかし、今の職場で自分が中心になって、仕事を進めるときに忘れてしまうことが多いことに気付いた。書類作成時の不備に関しても多く指摘された。

・専門職だから大丈夫だ!…という思い込み
長年フリーライターとして精神科受診している人を取材し、社会福祉士資格に合格し、発達障害の子どもたちに勉強を教えてきた。そんな経験から、「自分は、大丈夫なはず!」と思い込んでいた。ただ、専門家の書籍を読むと、その著書自身が発達障害と書いていることも何度か見た。実は、それを目にするたびに「自分もそうなねかなぁ…」と思うようになった。

・うつ状態からの発達障害検査へ
うつ病と今年3月に診断されて、「一応、発達障害の検査をしましょう」と言われWAISをはじめ5種類の検査を受けた。WAISの内容は大体知っていたが、実際に自分自身が受けてみると検査の最中に自分の凸凹に気付いた。その他の心理検査も素直に答えれば答えるほど、検査中に自分の凸凹を感覚的にも認知できてしまった。

・45歳で発達障害と分かったからといって…
そんなかんなで、45歳にして発達障害の診断が下った。妻からは「でも、この歳まで何とかサポートなしで生きてこれたじゃない?」とも言われた。確かに、それは一理ある。この歳になって、「発達障害?しかも不注意優勢ADHD?」と思わなかったわけではない。しかし、自分の説明書に欠けていた部分がやっと追加された感覚だった。
・コンサータは、補助輪

そうやって、私は発達障害の子どもや親御さんに説明してきた。しかし、実際に自分がコンサータを服薬するようになると、それを実感した。コンサータ以外にもADHD処方薬はある。しかし、対処療法に過ぎない。それでも、環境整備と薬でクリアできることは多い。

・忘れるという特技
私は、ADHDだけではく、アスペルガー気質もあり嫌なことも30代半ばまで、写真のように覚えていた。しかし、歳をとるにつれ忘れることもできるようになった。ただ、こんな感じで発達障害を客観的に捉えられるのは、歳をとったからだと思う。発達障害のライフハックもそれなりに取り入れて生きてきた。だから、忘れることで生きやすいと思えるのだと思う。

・障害=個性?
障害=個性とは、思えない人が多数派だろう。しかし、支援の現場にいると、そういう声をよく聞く。個別性があるので、「障害特性は、
①、②…」というように教科書的な説明は不毛なのである。

・最後に…
ざざっと、今年、発達障害と診断されるまでの経緯を書いた。でも、まだまだ書きたいことはあるが、今回はこの辺で…。続く

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