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「認められたい」の正体(講談社現代新書・山竹伸二)

「承認」問題が世間でもてはやされたのは、オウム事件以後に社会学者の宮台真司氏が上司した「終わり泣き日常を生きろ」の「生きる意味はない」問題である。

 

この頃、宮台氏は、生きる「意味」から「強度」への変革を「まったり革命」と名付けた。 成熟社会になった日本において、偏差値の高い学校に入り、有名企業に就職し、 幸せな結婚をするのようなステロタイプな人生を語る親とバブル経済崩壊によって、生きる意味はあるのか?と考える子供達の間にギャップができた。

 

そこで、僕は「まったり生きたいけれど生きられない人のBBS」を作った。 本書に書かれているとおり承認を過度に優先し、自由を過度に抑圧した結果、生きる意味問題は生じた。 そして、先述のBBSでは、一件外見も問題ないし、大学も有名、だけどどこか空虚という人たちが集まった。

 

この背景には、心理学領域では、承認欲求の重要性を示唆する理論が提示されながらも承認欲望には、焦点が当てられなかったことがあると著者は言う。 確かに、哲学領域の問題であった。

しかし、この問題は精神科の敷居が低くなるのに連れて心理学の領域問題として語られるようになった。 まさにAC(アダルトチルドレン)問題である。元々はアルコール依存症の親に育てられた子供を指していたが、機能不全家族で育った子供のことを指すようになった。 この流れでは、最近の新型うつ病も類型の一つであろう。 親からの承認不足により子どもが生きる意味にしがみつく例は未だに枚挙にいとまがない。

 

また、1990年代後半に生じたこの問題に共感した年齢層は、現在結婚し親になっている人も多い。 しかし、人間の自己像および自己ルールは。幼少期から繰り返される両親の承認形式に大きく規定されており、それを否定することは承認不安を伴うからでさる。と著者は言う。

 

そして、それを解決するには、身近な他者の承認だけでなく、「見知らぬ他者」の承認を確信すること、または自分の意志で行為を選択することで、自由と承認両方の可能性を切り開けると提案もしている。 このように承認問題は、昨日の疎外問題と相似形なのである。

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