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2020年

12月

21日

息子の自閉症スペクトラム症

(この記事は2018年2月にnoteに書いたものを加筆したものです)

先週、年間最大欠席数をオーバー科目が、7科目になり、息子の留年が決定しました。

ただ、不登校の理由は、「学校という場の雰囲気に耐えられない」とのこと。ちなみに、息子は、自閉症スペクトラム症・ADHDの診断を昨年の2月に受けています。

高校でいじめもなく、休みが多いのに成績も問題なく…。高校の担任の先生が理解に苦しんだようです。

ADHD傾向は、小学生の頃からあり、息子が小学生4年のときに児童精神科を受診しました。ただ、そのときは問題なし。

中学の時は、部活顧問の先生が示す方針に納得できず、不登校気味になったこともありました。しかし、周りの友だちの支えで登校できるようになったのです。

今回も高校の友だちから、心配するLINEがかなりきているようです。さらに中学時代の友だちからも…。

息子としては、通信制高校編入するつもりみたいです。話し合いしましたが、どこの通信制に行くか本人が悩んでいる状態。

うつ病の妻は、息子の現状を自分が作り出したんじゃないか…など毎日ソワソワしています。ただ、急かしてもこだわりが強い息子が納得した進路変更でないと、また挫折してしまう可能性があります。

息子は、現在の高校に入るために内申点が足りなくても、本番入試でかなり頑張って、入学しました。しかし、入学式中に腹痛で退席したり、その後過敏性大腸炎になって、1年のときから休みがちでした。

その後、色々ADHD特性が強く出てきたので、精神科で検査を受けて、ADHDと二次障害のうつ病と診断されました。

抑うつより、気分障害的な症状が強く、妻はさらに自分を責めました。

一方、ASDっぽい私と娘は、息子に対しては「まあ、本人が望む形なら、今の高校辞めても良いんじゃない?」みたいなスタンスです。

ただ、こういうスタンスの違いが家族の軋轢を生んだこともあり、何度も家族会議を行いました。

そうは言っても、昨年、7月に私が転職したり、昨年9月に義母(息子の祖母)が亡くなったり…と息子と妻には心のペースが乱れる事案がいくつか発生しました。

それゆえ、今回の息子の高校留年、通信制高校編入の話はゆっくり進めていこうと思います。(2020年12月現在、通信制高校の卒業もほぼ決まり、大学受験に向けて頑張っています。)

娘は、マイペースに小6で自分から漢検4級にチャレンジしたり、学年の行事で中心人物になったりと、頑張っています。(その後、自分から英検3級、漢検3級合格。しかし、心配性なのかまだ自分は高校へ行けないのではないかと思っているようです。)

妻もパート先で必要な資格の勉強を開始するようです。(その後、資格も取得して継続して働いています)

息子の通信制高校編入に関しては、時期的に定員オーバーになりかねないので、ゆっくりし過ぎると…みたいな話もしています。

私も転職1年目でも、ガンガン仕事がふられるので、家族と仕事に押しつぶされないように、肩の力を抜きながら、日々を過ごしていくつもりです。(その後。2020年に自閉症スペクトラム症・ADHDと診断され、うつ病も発症。本格的なうつ病に悩まされています。しかし、来年2021年、精神保健福祉士国家試験、公認心理師国家試験受験予定です。)

#不登校  #発達障害  #ADHD  #うつ病  #ASD 
#自閉症スペクトラム症

  • #発達障害
  • #うつ病
  • #ADHD
  • #不登校
  • #ASD
  • #自閉症スペクトラム障害
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2020年

12月

21日

心を病むということ

・こころの不調のはじまり

生まれてこころの不調を感じたのは、子どもが産まれて妻のうつ病が酷くなり、解離性障害、パニック障害を併発したころだ。

当時は、フリーライターとして精神科を受診している人の取材だけでなく、メール相談にも乗っていた。未熟だった僕は、限界設定もせずに相談を受けまくっていた。

プライベートでも妻の病状は、一進一退を繰り返して対応に追われていた。にもかかわらず、メール相談から電話相談も行い始めて、ある日の朝、僕のココロは弾け飛んだ。

気持ちが落ち込むだけでなく、焦燥感やイライラが心から湧き上がる。そんな状態でも妻の対応もあり、抗うつ薬や抗不安薬が精神科で処方され、それでしのいだ。
妻の病状も寛解に向かい、私のこころも修復されてきた。しかし、その後も周期的に不眠などの症状は出てきた。それでも、短期的なもので、心が弾け飛ぶことはなかった。

数年が経ち、長男が高校を不登校になったのをきっかけに、長男が精神科受診し、自閉症スペクトラム障害であるとわかった。小学校4年生のときに、衝動的な行動が多々見られるので、児童精神科受診したが、特に問題なしとのことだった。

長男は、WAISでは、かなり高い数値が出たが、偏りがかなりあった。生育歴からも生きづらさを抱えていた。その後も高校には通ったが、「高校という場が嫌い」が原因で退学。通信制高校に編入した。

一方、私は43歳にしてかなりのマルチタスクを課される職場に入った。それまで、マルチタスクといってもたかがしれていた。しかし、思った以上に物忘れが酷い自分に気づいた。認知症ではない。メモした紙を紛失してしまう、メモ帳のどこにメモしたか忘れてしまう…。

社会福祉士の資格があるからこそ、自分を知る必要があると思い、自閉症スペクトラム障害の検査を受けた。

結果は、不注意優勢型ADHD及び二次障害としてのうつ病・不眠症。

45歳にして知るというか、自覚はあったから「やっぱり感」とは思った。抗うつ薬とコンサータを服薬するようになり、落ち着いてはいた。

しかし、心の病は簡単に安定しない。気持ちがどよーんとして、布団から起きあがれないこともしばしば。社会福祉士の資格があるというプライドから、うつ病の自分に悲観的になり「存在価値ないなぁ…」などと思うこともある。

妻は、病状もよくなっているので、逆に私が休むことで不安定になる。私は有給も使い切ったから、欠勤が増えるだけなので当たり前なのだが…。

子どもたちは心配してくれるが、どちらかというと自分の将来がどうなるか不安な様子。これもよくわかる。

なまじ、精神保健福祉士、公認心理師の勉強なんかしてるから、休職など頭を過ぎるがそこまでではない。リワークとか知識だけが頭の中に浮かんでは、消え…。

ただ、福祉関係の職場ゆえになんとかクビの皮一枚繋がっている。管理職には話をして診断書も出してある。

こころを病むことは、自分の今までの生活を振り返り、新しい生活形態を考えるきっかけにもなっている。

以前は、長いトンネルの中を海底に向かって沈むために進んでいるような感覚だった。

しかし、今は職場のみんなに迷惑を掛けて、休んだのだからこそ、しっかり休養しようと思う。

仕事のことをプライベートの時間に考えすぎるのはやめた。意識を切り替えることの修行。マインドフルネス。これを少しずつ心身に根付かせて、残り少ない人生を生き切りたい。

 

2020年

12月

20日

45歳で発達障害診断

昨日の記事で、不注意型優勢のADHDと二次障害としてのうつ病と診断されたと書いた。今回は、どうして45歳になってそれがわかったか書いていこうと思う。

・きっかけは、息子が診断されたこと
息子は、念の為の検査だった。ただ、生育歴から見て、多動傾向は随所に見られていた。落ち着きのなさや衝動性は、保育園〜中学生までの面談等でも指摘されていた。しかし、学習能力や対人関係では特に問題は見受けられなかった。ただ、対人関係は、周りに恵まれていたことで、トラブルも多々あったらしい。

・それでも自分は、大丈夫と思っていた。
息子が発達障害と診断されてから、妻に私も衝動性などについて指摘された。確かに、衝動買いは度が過ぎるし、人の話を遮るのは小さい頃から日常茶飯事だった。

・度が過ぎる確認行為
小学生の頃、私は忘れ物するのが怖くて、前日から翌日登校するまでに4回確認を繰り返していた。まず、宿題が終わった後、寝る前、翌日朝食食べた後、登校前。今、振り返ると、たまたまこの過剰な確認行為で、忘れ物などを防いでいただけだった。

・話に入るきっかけがわからない
私は、物静かな子どもだった。しかし、それは自分が話を遮る天才だと自覚していたからである。大勢で話をしているとき、私は話の流れを無視して自論を話してしまい、非難されることを何度か経験した。

・ゾーンに入ると強い
大学受験をはじめ、資格試験など自分が興味を持ったことには強かった。読書なども興味ある分野は何十冊も読み漁った。ゲームなども興味あるものはとことんやった。ただ、勉強以外は繰り返しやることはなかった。この辺は、ADHDの特性だと思う。

・マルチタスクに強いという過信
大学留年中にフリーライターになったこともあり、サラリーマン生活の二足のわらじになった30代後半まで、チームで仕事することに慣れていなかった。それでも、周りに恵まれていたので、勝手にマルチタスクが得意だと思っていた。しかし、今の職場で自分が中心になって、仕事を進めるときに忘れてしまうことが多いことに気付いた。書類作成時の不備に関しても多く指摘された。

・専門職だから大丈夫だ!…という思い込み
長年フリーライターとして精神科受診している人を取材し、社会福祉士資格に合格し、発達障害の子どもたちに勉強を教えてきた。そんな経験から、「自分は、大丈夫なはず!」と思い込んでいた。ただ、専門家の書籍を読むと、その著書自身が発達障害と書いていることも何度か見た。実は、それを目にするたびに「自分もそうなねかなぁ…」と思うようになった。

・うつ状態からの発達障害検査へ
うつ病と今年3月に診断されて、「一応、発達障害の検査をしましょう」と言われWAISをはじめ5種類の検査を受けた。WAISの内容は大体知っていたが、実際に自分自身が受けてみると検査の最中に自分の凸凹に気付いた。その他の心理検査も素直に答えれば答えるほど、検査中に自分の凸凹を感覚的にも認知できてしまった。

・45歳で発達障害と分かったからといって…
そんなかんなで、45歳にして発達障害の診断が下った。妻からは「でも、この歳まで何とかサポートなしで生きてこれたじゃない?」とも言われた。確かに、それは一理ある。この歳になって、「発達障害?しかも不注意優勢ADHD?」と思わなかったわけではない。しかし、自分の説明書に欠けていた部分がやっと追加された感覚だった。
・コンサータは、補助輪

そうやって、私は発達障害の子どもや親御さんに説明してきた。しかし、実際に自分がコンサータを服薬するようになると、それを実感した。コンサータ以外にもADHD処方薬はある。しかし、対処療法に過ぎない。それでも、環境整備と薬でクリアできることは多い。

・忘れるという特技
私は、ADHDだけではく、アスペルガー気質もあり嫌なことも30代半ばまで、写真のように覚えていた。しかし、歳をとるにつれ忘れることもできるようになった。ただ、こんな感じで発達障害を客観的に捉えられるのは、歳をとったからだと思う。発達障害のライフハックもそれなりに取り入れて生きてきた。だから、忘れることで生きやすいと思えるのだと思う。

・障害=個性?
障害=個性とは、思えない人が多数派だろう。しかし、支援の現場にいると、そういう声をよく聞く。個別性があるので、「障害特性は、
①、②…」というように教科書的な説明は不毛なのである。

・最後に…
ざざっと、今年、発達障害と診断されるまでの経緯を書いた。でも、まだまだ書きたいことはあるが、今回はこの辺で…。続く

  • #発達障害
  • #ADHD
  • #大人の発達障害

 

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2017年

12月

03日

新聞記事に寄稿文が載りました

信濃毎日新聞に、共同通信配信の記事が載りました。 本名で、載るのは久々です…。
信濃毎日新聞に、共同通信配信の記事が載りました。 本名で、載るのは久々です…。

2017年

12月

03日

叱るのは3分以内

子どもに対して、叱るときは長くて3分だ。できれば、1分以内に終わらせたいし、内容は1つに絞って、終わりには褒める形で終わらせる。

最後に「わかった?」、「2度目はないから」などの言葉で終わると、大人の自己満足で終わってしまう。

さらに、長く叱るのを繰り返すと、子どもはその場しのぎだけが上手くなる。その結果、ストレスがたまり、違う問題行動が出てきてしまう。


叱る違う問題行動叱る問題行動のような無限ループは、問題行動が過激化するだけである。


問題行動や逸脱行動に至るまでには、複雑な過程を経ていることがほとんどだと思う。「死にたい」、「切りたい」、「壊したい」などの言葉が出てくるまでの過程を振り返りつつ、言葉のアプローチを変える必要がある。


特にどんなに裏切られても「信用できない」と大人が思うと、子どもは皮膚感覚でそれを見抜き、同じ問題を繰り返してしまう。


子どもの問題行動を変えるには、大人の忍耐力が問われる。褒められ慣れていない子どもを大人が褒めても、その本気度が伝わり始めるのには、早くて3ヶ月は掛かる。


だからこそ、大人は、子どもを褒める語彙、褒める時の声色、トーンを学ぶ必要がある。それを学ぶ必要がない「褒める天才」は、日本にはかなり少ないのが現状だろう。


それゆえ、叱ることが、「恫喝」になり子どもの心を傷つけることに長ける大人が多いのだ。


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2015年

12月

07日

メンタルケアの問題

この時期になると大学受験生でもメンタル面の問題が大きくなります。

社会福祉士国家試験でも、社会人の方は仕事をしながらの勉強なので非常に大変だと思います。


ただ、あと一ヶ月少しで本番を迎えるのに、


「やるのか・やらないのか」

「合格するのか不安」


などと考える時間はを全て、参考書を読む時間・過去問を解く時間に当ててください。

苦しい日でも一問は問題を解くなど試験に臨む態勢を崩さないようにすることこそが、合格へ近づきます。


それと、日々の勉強の記録をつけるのも良いです。

スランプの時に、過去の勉強の記録を見ると安心感が得られます。

なぜなら「こんなに頑張ってきたのだから大丈夫!」と思えるはずです。


メンタル面は、どうにでもなります。社会福祉士を目指そうと決めた日の気持ちを思い返してください。

時間は待ってくれません。


傷だらけの、満身創痍の心でも問題を解くことで、傷は癒されていきます。

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2015年

12月

06日

第28回社会福祉士国家試験合格を目指す方へ。

第28回社会福祉士国家試験は、平成28年1月24日(日)です。

私もこの試験には苦労しました。

初めての受験は、1点足りず不合格、2回目は、宿直明けの受験でまたもや1点足りず不合格。

そして3回目の昨年、試験前2日間の休みをいただき、なんとか合格できました。


英検準一級、TOEIC、漢検のときも同じでしたが、とにかくアウトプット量が合格の鍵です。

昨年は、本気で勉強し始めたのが遅く12月20日前後です。毎月10日前後の宿直をして、

4人の退所児童の相談などに乗りながらの勉強でした。


宿直は、4時間睡眠。明けてそのまま14時まで勤務。その後、昼寝をして勉強。

勉強時間は2時間が限界で、その分質を重視しました。


テキストの太字部分を何度も確認し、過去問を解く。不正解の場合は、ひたすら解説を読解。暗記。


社会福祉士試験は、範囲もかなり広く、事例問題も多いので、時間内に解くスピードも問われます。

それは、問題を解いて、慣れることでしか身につかない力です。


これから一ヶ月ちょっとで合格を目指すのなら、テキストの重要項目の反復音読。

過去問題を解いて、慣れてください。


知識を脳に自動化して、反射的に問題に答えられよう訓練するのが、この時期に必要な訓練です


Practice makes perfect.(習うより慣れよ)

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2015年

3月

22日

第27回社会福祉士国家試験合格しました!!

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2014年

7月

11日

辛かったら逃げても良い

 

辛いことがあった時、人はグチをこぼす。マイナスな言葉、弱音を吐く。
「吐」という字は、口へんにプラスマイナス。
嫌なことは吐き出していい。
でも、そこから成功する人、夢を実現する人は少しずつ変化していく。
弱音は吐かない。ボジティブなことだけを言うようにする。
マイナスな事を取っていくと夢は「叶」う。

自分の思っていた到達点に少し足りないと思ったら、
軌道修正しながら、最終的な目標は変えない。
紆余曲折しながら、遠回りしながら、ここまで行けばいい。

これは危険だと思ったら回避する。
危険だと思ったら、逃げていい。
「逃」は、しんにょうに兆し。
そして、また時間をおいて、
しんにょうを手ヘンに変えて「挑」挑戦するんだ。

「幸」と「辛」
幸せでも、何かが欠けたら辛くなる
辛くても、何かが加われば幸いになる
「苦」「困」「災」に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」
こういうことが起こると不幸だと考えてしまう。
「難」が無い人生を「無難」という。
無難な人生なんてありえない。
だから、「難」が有る人生。「有」「難」と書いて「有難」し。

「命」は、人を一叩き(ひとたたき)と書く。
殴ったり蹴ったり、人を痛めつけることで命を感じる。これは大間違い。
寝てる時、無意識の時、今も叩き続けている心臓。
心臓の一叩きの連続が命。
その命を命懸けで産んだのはお母さん。女性です。
命の始まりは女なんです。
「女」が土「台」となって「始」まりとなる。
俺ら男は、女の人を粗末にしちゃ絶対ダメなんだ。
君らを産んだお母さんは命懸けで君らを産んだんだ。それは間違いない。
命懸けで産んだものが命なんだ。人間はそれを何度も繰り返してきた。
ここからは、皆が命を繋げていく。
ここから出たら、命を広げて行ってください。

心に響いたら、感動の輪を広げていってください。

 

「ゴルゴ松本さんの講演会の言葉」より

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2013年

2月

27日

「就活で挫けそうな若者へのヒントを考える座談会」に参加します!

3/30に「就活で挫けそうな若者へのヒントを考える座談会」をやります。

どうもです。急な話でナニですが、就活マッチョになれないその他大勢の若者(及び転職でヘコタレてるおにーさん、おねーさん)に向けて地味なイベントをやります。タイトルには若者と書いてありますが、誰でも参加可能です。

勉強会でもなく、セミナーでもなく、ただなんとなく就活というか就職に関して、考えてみたいなぁというのがきっかけです。

概要は以下の通り。

 

日時:2013年3月30日 16時~20時予定
 
場所:麹町 KDDI Web Communicationsさんの会議室(6F)
  
タイトル:「就活で挫けそうな若者へのヒントを考える座談会」(長いっすねww)
 
座談会参加者:
赤木智弘さん (『若者を見殺しにする国』著者 http://twitter.com/T_akagi
寺地幹人さん (GLOCOM 研究員 http://researchmap.jp/MikitoTerachi/
久田圭彦さん (アデコ株式会社 取締役人事本部長 http://www.adecco.co.jp/pressroom/forum/
大月智博さん (フリーライター http://www.robotsuki.com/
showgoさん (技術家庭科(技術)非常勤講師 http://d.hatena.ne.jp/showgotch/
 
司会進行:やすゆき
 
骨子:就活に失敗したことで自殺してしまう若者がいる現代、就活そのものが目的化し若者を疲弊させる原因になっているのではないか。そうした状況の中で数少ない勝ち組と多数の負け組が区分され、就活セミナーなどでも勝ち組になることを強要される状況がある。その中で結果として挫けてしまう若者に対して何らかのヒント、生き延びていくための考え方、を対話の中から見出したい。
この座談会でそのヒントのカケラが生まれてくることを期待しています。
 
もっとぶっちゃけて言うと自分の子供とか後輩とかが挫折してしまった時に何かヒントになることを言える様に、手助けできるようになれるといいなという願いをカタチにしてみたということです。まぁ、これ一回でなんとかなるような甘いものとは思っていませんけども。
形式としてはフリートークとしたいと思いますが、現在の就活ってどうよ?的な部分を導入にして話を拡げていけたら良いのではと考えます。
 
定員20名くらい。参加費千円です。ソフトドリンク、お菓子などを用意します。
 
申し込み:Facdbookのイベント作りました。はこれから作ります。しばしお待ちを。
Twitterでは@yasuyukimaに@で教えてください。

 

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2020年

12月

21日

息子の自閉症スペクトラム症

(この記事は2018年2月にnoteに書いたものを加筆したものです)

先週、年間最大欠席数をオーバー科目が、7科目になり、息子の留年が決定しました。

ただ、不登校の理由は、「学校という場の雰囲気に耐えられない」とのこと。ちなみに、息子は、自閉症スペクトラム症・ADHDの診断を昨年の2月に受けています。

高校でいじめもなく、休みが多いのに成績も問題なく…。高校の担任の先生が理解に苦しんだようです。

ADHD傾向は、小学生の頃からあり、息子が小学生4年のときに児童精神科を受診しました。ただ、そのときは問題なし。

中学の時は、部活顧問の先生が示す方針に納得できず、不登校気味になったこともありました。しかし、周りの友だちの支えで登校できるようになったのです。

今回も高校の友だちから、心配するLINEがかなりきているようです。さらに中学時代の友だちからも…。

息子としては、通信制高校編入するつもりみたいです。話し合いしましたが、どこの通信制に行くか本人が悩んでいる状態。

うつ病の妻は、息子の現状を自分が作り出したんじゃないか…など毎日ソワソワしています。ただ、急かしてもこだわりが強い息子が納得した進路変更でないと、また挫折してしまう可能性があります。

息子は、現在の高校に入るために内申点が足りなくても、本番入試でかなり頑張って、入学しました。しかし、入学式中に腹痛で退席したり、その後過敏性大腸炎になって、1年のときから休みがちでした。

その後、色々ADHD特性が強く出てきたので、精神科で検査を受けて、ADHDと二次障害のうつ病と診断されました。

抑うつより、気分障害的な症状が強く、妻はさらに自分を責めました。

一方、ASDっぽい私と娘は、息子に対しては「まあ、本人が望む形なら、今の高校辞めても良いんじゃない?」みたいなスタンスです。

ただ、こういうスタンスの違いが家族の軋轢を生んだこともあり、何度も家族会議を行いました。

そうは言っても、昨年、7月に私が転職したり、昨年9月に義母(息子の祖母)が亡くなったり…と息子と妻には心のペースが乱れる事案がいくつか発生しました。

それゆえ、今回の息子の高校留年、通信制高校編入の話はゆっくり進めていこうと思います。(2020年12月現在、通信制高校の卒業もほぼ決まり、大学受験に向けて頑張っています。)

娘は、マイペースに小6で自分から漢検4級にチャレンジしたり、学年の行事で中心人物になったりと、頑張っています。(その後、自分から英検3級、漢検3級合格。しかし、心配性なのかまだ自分は高校へ行けないのではないかと思っているようです。)

妻もパート先で必要な資格の勉強を開始するようです。(その後、資格も取得して継続して働いています)

息子の通信制高校編入に関しては、時期的に定員オーバーになりかねないので、ゆっくりし過ぎると…みたいな話もしています。

私も転職1年目でも、ガンガン仕事がふられるので、家族と仕事に押しつぶされないように、肩の力を抜きながら、日々を過ごしていくつもりです。(その後。2020年に自閉症スペクトラム症・ADHDと診断され、うつ病も発症。本格的なうつ病に悩まされています。しかし、来年2021年、精神保健福祉士国家試験、公認心理師国家試験受験予定です。)

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#自閉症スペクトラム症

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  • #不登校
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  • #自閉症スペクトラム障害
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2020年

12月

21日

心を病むということ

・こころの不調のはじまり

生まれてこころの不調を感じたのは、子どもが産まれて妻のうつ病が酷くなり、解離性障害、パニック障害を併発したころだ。

当時は、フリーライターとして精神科を受診している人の取材だけでなく、メール相談にも乗っていた。未熟だった僕は、限界設定もせずに相談を受けまくっていた。

プライベートでも妻の病状は、一進一退を繰り返して対応に追われていた。にもかかわらず、メール相談から電話相談も行い始めて、ある日の朝、僕のココロは弾け飛んだ。

気持ちが落ち込むだけでなく、焦燥感やイライラが心から湧き上がる。そんな状態でも妻の対応もあり、抗うつ薬や抗不安薬が精神科で処方され、それでしのいだ。
妻の病状も寛解に向かい、私のこころも修復されてきた。しかし、その後も周期的に不眠などの症状は出てきた。それでも、短期的なもので、心が弾け飛ぶことはなかった。

数年が経ち、長男が高校を不登校になったのをきっかけに、長男が精神科受診し、自閉症スペクトラム障害であるとわかった。小学校4年生のときに、衝動的な行動が多々見られるので、児童精神科受診したが、特に問題なしとのことだった。

長男は、WAISでは、かなり高い数値が出たが、偏りがかなりあった。生育歴からも生きづらさを抱えていた。その後も高校には通ったが、「高校という場が嫌い」が原因で退学。通信制高校に編入した。

一方、私は43歳にしてかなりのマルチタスクを課される職場に入った。それまで、マルチタスクといってもたかがしれていた。しかし、思った以上に物忘れが酷い自分に気づいた。認知症ではない。メモした紙を紛失してしまう、メモ帳のどこにメモしたか忘れてしまう…。

社会福祉士の資格があるからこそ、自分を知る必要があると思い、自閉症スペクトラム障害の検査を受けた。

結果は、不注意優勢型ADHD及び二次障害としてのうつ病・不眠症。

45歳にして知るというか、自覚はあったから「やっぱり感」とは思った。抗うつ薬とコンサータを服薬するようになり、落ち着いてはいた。

しかし、心の病は簡単に安定しない。気持ちがどよーんとして、布団から起きあがれないこともしばしば。社会福祉士の資格があるというプライドから、うつ病の自分に悲観的になり「存在価値ないなぁ…」などと思うこともある。

妻は、病状もよくなっているので、逆に私が休むことで不安定になる。私は有給も使い切ったから、欠勤が増えるだけなので当たり前なのだが…。

子どもたちは心配してくれるが、どちらかというと自分の将来がどうなるか不安な様子。これもよくわかる。

なまじ、精神保健福祉士、公認心理師の勉強なんかしてるから、休職など頭を過ぎるがそこまでではない。リワークとか知識だけが頭の中に浮かんでは、消え…。

ただ、福祉関係の職場ゆえになんとかクビの皮一枚繋がっている。管理職には話をして診断書も出してある。

こころを病むことは、自分の今までの生活を振り返り、新しい生活形態を考えるきっかけにもなっている。

以前は、長いトンネルの中を海底に向かって沈むために進んでいるような感覚だった。

しかし、今は職場のみんなに迷惑を掛けて、休んだのだからこそ、しっかり休養しようと思う。

仕事のことをプライベートの時間に考えすぎるのはやめた。意識を切り替えることの修行。マインドフルネス。これを少しずつ心身に根付かせて、残り少ない人生を生き切りたい。

 

2020年

12月

20日

45歳で発達障害診断

昨日の記事で、不注意型優勢のADHDと二次障害としてのうつ病と診断されたと書いた。今回は、どうして45歳になってそれがわかったか書いていこうと思う。

・きっかけは、息子が診断されたこと
息子は、念の為の検査だった。ただ、生育歴から見て、多動傾向は随所に見られていた。落ち着きのなさや衝動性は、保育園〜中学生までの面談等でも指摘されていた。しかし、学習能力や対人関係では特に問題は見受けられなかった。ただ、対人関係は、周りに恵まれていたことで、トラブルも多々あったらしい。

・それでも自分は、大丈夫と思っていた。
息子が発達障害と診断されてから、妻に私も衝動性などについて指摘された。確かに、衝動買いは度が過ぎるし、人の話を遮るのは小さい頃から日常茶飯事だった。

・度が過ぎる確認行為
小学生の頃、私は忘れ物するのが怖くて、前日から翌日登校するまでに4回確認を繰り返していた。まず、宿題が終わった後、寝る前、翌日朝食食べた後、登校前。今、振り返ると、たまたまこの過剰な確認行為で、忘れ物などを防いでいただけだった。

・話に入るきっかけがわからない
私は、物静かな子どもだった。しかし、それは自分が話を遮る天才だと自覚していたからである。大勢で話をしているとき、私は話の流れを無視して自論を話してしまい、非難されることを何度か経験した。

・ゾーンに入ると強い
大学受験をはじめ、資格試験など自分が興味を持ったことには強かった。読書なども興味ある分野は何十冊も読み漁った。ゲームなども興味あるものはとことんやった。ただ、勉強以外は繰り返しやることはなかった。この辺は、ADHDの特性だと思う。

・マルチタスクに強いという過信
大学留年中にフリーライターになったこともあり、サラリーマン生活の二足のわらじになった30代後半まで、チームで仕事することに慣れていなかった。それでも、周りに恵まれていたので、勝手にマルチタスクが得意だと思っていた。しかし、今の職場で自分が中心になって、仕事を進めるときに忘れてしまうことが多いことに気付いた。書類作成時の不備に関しても多く指摘された。

・専門職だから大丈夫だ!…という思い込み
長年フリーライターとして精神科受診している人を取材し、社会福祉士資格に合格し、発達障害の子どもたちに勉強を教えてきた。そんな経験から、「自分は、大丈夫なはず!」と思い込んでいた。ただ、専門家の書籍を読むと、その著書自身が発達障害と書いていることも何度か見た。実は、それを目にするたびに「自分もそうなねかなぁ…」と思うようになった。

・うつ状態からの発達障害検査へ
うつ病と今年3月に診断されて、「一応、発達障害の検査をしましょう」と言われWAISをはじめ5種類の検査を受けた。WAISの内容は大体知っていたが、実際に自分自身が受けてみると検査の最中に自分の凸凹に気付いた。その他の心理検査も素直に答えれば答えるほど、検査中に自分の凸凹を感覚的にも認知できてしまった。

・45歳で発達障害と分かったからといって…
そんなかんなで、45歳にして発達障害の診断が下った。妻からは「でも、この歳まで何とかサポートなしで生きてこれたじゃない?」とも言われた。確かに、それは一理ある。この歳になって、「発達障害?しかも不注意優勢ADHD?」と思わなかったわけではない。しかし、自分の説明書に欠けていた部分がやっと追加された感覚だった。
・コンサータは、補助輪

そうやって、私は発達障害の子どもや親御さんに説明してきた。しかし、実際に自分がコンサータを服薬するようになると、それを実感した。コンサータ以外にもADHD処方薬はある。しかし、対処療法に過ぎない。それでも、環境整備と薬でクリアできることは多い。

・忘れるという特技
私は、ADHDだけではく、アスペルガー気質もあり嫌なことも30代半ばまで、写真のように覚えていた。しかし、歳をとるにつれ忘れることもできるようになった。ただ、こんな感じで発達障害を客観的に捉えられるのは、歳をとったからだと思う。発達障害のライフハックもそれなりに取り入れて生きてきた。だから、忘れることで生きやすいと思えるのだと思う。

・障害=個性?
障害=個性とは、思えない人が多数派だろう。しかし、支援の現場にいると、そういう声をよく聞く。個別性があるので、「障害特性は、
①、②…」というように教科書的な説明は不毛なのである。

・最後に…
ざざっと、今年、発達障害と診断されるまでの経緯を書いた。でも、まだまだ書きたいことはあるが、今回はこの辺で…。続く

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  • #ADHD
  • #大人の発達障害

 

2017年

12月

03日

新聞記事に寄稿文が載りました

信濃毎日新聞に、共同通信配信の記事が載りました。 本名で、載るのは久々です…。
信濃毎日新聞に、共同通信配信の記事が載りました。 本名で、載るのは久々です…。

2017年

12月

03日

叱るのは3分以内

子どもに対して、叱るときは長くて3分だ。できれば、1分以内に終わらせたいし、内容は1つに絞って、終わりには褒める形で終わらせる。

最後に「わかった?」、「2度目はないから」などの言葉で終わると、大人の自己満足で終わってしまう。

さらに、長く叱るのを繰り返すと、子どもはその場しのぎだけが上手くなる。その結果、ストレスがたまり、違う問題行動が出てきてしまう。


叱る違う問題行動叱る問題行動のような無限ループは、問題行動が過激化するだけである。


問題行動や逸脱行動に至るまでには、複雑な過程を経ていることがほとんどだと思う。「死にたい」、「切りたい」、「壊したい」などの言葉が出てくるまでの過程を振り返りつつ、言葉のアプローチを変える必要がある。


特にどんなに裏切られても「信用できない」と大人が思うと、子どもは皮膚感覚でそれを見抜き、同じ問題を繰り返してしまう。


子どもの問題行動を変えるには、大人の忍耐力が問われる。褒められ慣れていない子どもを大人が褒めても、その本気度が伝わり始めるのには、早くて3ヶ月は掛かる。


だからこそ、大人は、子どもを褒める語彙、褒める時の声色、トーンを学ぶ必要がある。それを学ぶ必要がない「褒める天才」は、日本にはかなり少ないのが現状だろう。


それゆえ、叱ることが、「恫喝」になり子どもの心を傷つけることに長ける大人が多いのだ。


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